小手指ヶ原古戦場から馬坂

白旗塚

道の脇にある小手指が原古戦場跡の細い道を西に50メートルくらい進むと白旗塚がある。古道紀行(小山和著)によると元弘の戦いに、源氏の将新田義貞がこの塚へ白旗を翩翻と翻し、本陣を構えたと伝えている。上ってみると頂上には白旗塚の碑と二つの石祇(せきし)がある。塚の入口には木の白旗塚土盛修復記念碑が建っている。碑によると「北野中学校の生徒が一丸となってバケツに土を入れ山頂と周辺部に運び上げ平成24年1月にこの事業を完了した」とある。

小手指ヶ原古戦場跡

誓詞橋

左下の写真が誓詞橋,バイパスの南側に石碑が建っている。誓詞橋の由来は新田軍の武者たちが忠誠を天地神明に誓ったという事で名付けられていると「鎌倉街道夢紀行」テレビ埼玉編に書かれている。

愛宕神社

西武池袋線の狭山ヶ丘駅のすぐ近くに愛宕神社がある。由来などは良くわからない。

入間市にも愛宕神社があるがその関係は私には分からない。

狭山ヶ丘駅から武蔵藤沢へ向かう道

熊野神社

入間川道から少し南に行くと熊野神社がある。

県道8号線と馬坂に入る辻にある庚申塔

下藤沢の庚申塔(寺子屋in藤沢3 藤沢のお宝めぐり散歩より)

庚申塔は、庚申信仰に由来するもので、江戸時代に民衆の間で延命招福を願って盛んに造塔が行われた。庚申塔は市内でも57基が確認されている。

下藤沢の庚申塔は、天明元年(1781)9月に造立されたもので、主尊の青面金剛(しょうめんこんごう)をはじめ、邪気、三猿などが刻まれている。

庚申信仰は、60日に1度巡ってくる庚申の日の夜、人の体内に潜む三尸(さんし)という虫が、眠っている間に天へ昇って天帝にその人の悪事を告げることで、寿命が縮まってしまうという道教の教えによるものである。人々は庚申の日には身を清らかにして、三尸が体から出ないように、夜通し眠らないようにする「庚申待」「申待」という祭事を行い、それを記念して庚申塔が造立された。

像の左には「天明元辛丑歳九月」右には「奉安置大青面金剛尊像當轉褐為福御祈願」とある。

新田橋

馬坂

馬坂と新田橋(寺子屋in藤沢3 藤沢のお宝めぐり散歩より)

藤沢地区を通る鎌倉街道上道の脇道沿いにある。

名称は、元弘3年(1333)5月に新田義貞が鎌倉攻めの際に当地を通過したとされる言い伝えに由来する。付近には義貞に由来する地名が残り、馬坂を上り切った台地上を「新田原」、飛竜神社跡地の妙ガハケと不老川の間の土地は「新田久保」と呼ばれている。現在の橋は昭和35年3月に架け替えられたもので、以前は狭い石橋だったという。

入間市市民活動センターとグラウンドの間の通路

愛宕神社

境内の説明板によると「神社の創建は、この地域の集落発生とともになされ、天照皇大神を祀り、産土神(うぶすなかみ)として崇められた。その後正平十六年に南朝の忠臣・新田義興公が合わせ祀られた」とある。

愛宕神社境内首塚の松

新田義興公と十三塚の案内板