毛呂山町近辺

毛呂山町民俗資料館周辺を歩きました。

民俗資料館の裏付近は雑木林の中に舗装されていない鎌倉街道が残っています。大変雰囲気のある道でした 。

民俗資料館庭にある西戸古墳

社会福祉法人育心会前の鎌倉街道遺跡

毛呂山町歴史民俗資料館の前の道を200メートルほど南西に行き東西に走る細い道と交差する。その道が鎌倉街道です。交差点には鎌倉街道の表示が出ています。そこから南に600メートル入ると社会福祉法人育心会があり少し先で鎌倉街道が途切れています。ここに鎌倉街道遺跡の表示があります。

鎌倉街道遺跡表示碑より

この前を南北に鎌倉街道上道が通っていた。この標識に向かって、右手の林中の道を南に行けば、葛川・高麗川を越えて、日高町の女影ヶ原古戦場へ行く。左は北方の越辺川に出る。すぐ右手の林中の凹道は、県下でも珍しく良く旧態を残して、昭和57年県立歴史資料館によって試掘調査が行われた。堆積土の下に幅約5メートルの旧道面があり両側には排水溝もあった。低湿のため、長い間使用されず、今は旧道に大木が生えている。

上の鎌倉街道遺跡表示碑に向かって右側は雑草が生い茂り50mくらいまでは進んでみたがそれ以上はあきらめました。

鎌倉街道遺跡から県道39号へ向かう林の中の道

東上線西大家駅周辺

国渭袛神社

鎌倉街道が川になっている

鎌倉幕府成立とともに整備したと伝えられる鎌倉街道は、武蔵武士を代表する畠山重忠をはじめ、多くの武将達の栄枯盛衰の物語を伝える道として知られている。

ここの南北に掘割状になっているところは、鎌倉街道と伝えられる古道の跡で、市内にはこの他、鎌倉街道と呼ばれるいくつかの枝道が通っている。

なお、鎌倉街道という名称は江戸時代になってから使われ始めたと考えられており、古くは信濃街道、奥州道、大道などと呼ばれていた。

鶴ヶ島市教育委員会の表示板より